ノープランNZ旅行記 33日目 其の壱
33日目(2023/1/14)
この日の朝は5時頃に目が覚めた。
何時に出発しようかと考えた。
「7時頃かな」
ふと、Park Cafeは何時からやってるんだろうと思い調べてみると、9時からだった。
流石にその時間までここで待ってられないなー、と思い、そこで朝食を食べることは諦めた。
トイレも全てすませて、出発の準備万端になった。
時間はまだ6時過ぎくらいだったけど、7時頃までベッドで待ってるよりも外に出ようと思って、宿を出た。
ゆっくりと歩きながら二日前に来た道を戻り始めた。
外を歩いてみると、思っていたよりも少し肌寒かったから、上着を着ようと思った。
「海辺のベンチまで行ってそこで座る時に着よう」
バックパックから出した上着を着てベンチに座り、しばらくボーっと海を眺めていた。
潮が引いて海底が見えていた。
昨日の朝と同じく曇り空だったけど、この日も遠くの水平線近くに朝日の光が見えた。
オレンジの層が、10センチくらいかな、見えた。
この時何を考えていたかは忘れたけど、何も考えていなかったかもしれない。
もしくは、「意外とさみーな」かも(よくこう思うから笑)
ずっと座っていると少し寒くなってきたから、出発しようと思い立ち上がった。
そしてまた、ゆっくり歩き始めた。
周りには海鳥がたくさんいた。
Marahauの街の外れまで来た時、6時半頃だったかな。
この日の歩き始めは結構ローテンションだった。
前日10時間歩いて流石に疲れていたのか、それともその後ビールをそれなりに飲んだからか。
この時は、ただただ歩いていた気がする。
Marahauの街、お店などが立ち並ぶエリアを出て、来る時も通った浅瀬的なところを通った時、
転がっている流木を見て、やっぱりカッコいいなーと思った。こういうの好きなんだよなーと。
枯れ木、古木には、趣をとても感じる。
早朝で車はほぼいないと思っていたけど、この時何台か僕の脇を通って行った。
MotuekaからMarahauまでの道の中では、このあたりが一番危ないところ、車のスピードが出てるところ。
ここを過ぎればあとはそんなでもない。行きに歩いた時のことを考えると、そんな感覚があった。
数日前に通った道を逆方向に向かって歩いて行った。
一度通った道は、同じ距離を歩くでも時間が短く感じた。
そしてサイクルロードのあるところまで来て、これでもう車への恐れは無くなった、とホッとした。
Kaiteriteriへ着く直前に、「数日前に僕を見かけた」という女性に、彼女とすれ違いぎわに話しかけられた。
「どこか行ってたのか?」と聞かれたので、Marahauに行って数日泊まり、Abel Tasman国立公園を歩いてきた、と話した。
「良かった?」と聞かれたので、「すごく良かった!」と答えた。
何も考えず行動していたけど、その後時計を見ると彼女と会ったあたりの道を二日前に通った時と同じくらいの時間帯だった。
なんか面白い再開だな、と思って一人でニヤニヤした。
そして、今日もまた人との小さなやりとりにホッコリした。
Marahauの宿を出発してから3時間くらい歩き、9時頃にKaiteriteriへ着いた。
この日は曇りで肌寒かったこともあって、温かいものが飲みたいと思い、海岸前にあるカフェに入った。
その時にチャイを注文したのだけど、チャイラテとDirtyチャイなる2種類があった。
「ダーティー?」よく分からなかったけど、ラテじゃない方が良かったから、そちらを注文した。
運ばれて来たのは一見普通のチャイ、と言うかラテっぽい?なんか違いがよく分からなかったけど…。
しばらくして、隣の席に子連れの夫婦が来た。
子供の歳は僕の姪っ子と同じくらいか。
子供用の椅子に座っていたその子と時々目が合い、その度に笑ってきたのでこちらも笑った。
僕が笑うとその子も笑うので、笑って…を繰り返してた。
そのうち、その子の隣に座る母親越しに、いないないバァみたいなことをすると笑うので、それをしばらく繰り返していた。
赤ちゃんが自分からすすんで母親の影に隠れている感じもしたな。
ちょっとした楽しい時間を朝から過ごせた。
Cafeでの休憩を済ませて、Kaiteriteriを出発した時、歩きながらふと頭に浮かんだことがあった。
最近、セリーヌディオンが難病になったことを公表したらしい。
他にも、母親と同じ難病に自らもかかったという人の記事をこの数日前に読んだ。
神は人には乗り越えられない試練は与えない、なんて言うけど、本当にそうなのかなーと思った。
セリーヌに関しては、いい加減休みなさいよ、ってこともあるの、かも、しれないけど。
自分だったらどうなんだろう、受け入れられるのかなすんなりと、とも思った。
今は「受け入れられる」と思っても、実際に当事者になったらキツイだろうな、とも。
先が、終わりがある程度見えてしまうわけだし、人生の。必ずそうなるとは限らないかもしれないけど。
いつかは必ず死ぬけど、目の前に「死」を突きつけられた時にどう感じるのか。
自分が当事者になってみないと分からない。
このことを思った時、彼女の「That the way it is」が頭の中に流れてきた。
あとで歌詞を調べてみると、とても前向きな歌詞だった。
まさに今の彼女に必要な内容の歌詞である感じがした。
しばらくして、Riwakaに到着。
「ここまでまくればもう気持ち的には大丈夫かな」
そう思えた。
其の弍へつづく